成田悠輔氏の集団自決vs.デビッド・シンクレア氏の寿命延長

今日は朝のジョギング・プラス午後の里山サイクリングでゾーン2トレーニングはほぼ1時間。

さて、夕べたまたま『LIFE SCIENCE 長生きせざるをえない時代の生命科学講義』の著者吉森保氏が登場するYouTube番組を観た。吉森氏は『自然派バイオハッキング』でも言及しているオートファジー研究の権威だ。吉森博士を映像で観るのは初めてだったので、人柄がわかり面白かった。その中で司会の一人である脳科学者の茂木健一郎氏が、成田悠輔氏の「高齢者は集団自決」発言について、吉森氏の意見を尋ねた。

「高齢者は集団自決」発言?

それについて全く知らなかったので、後で検索して調べた。

どうやら成田悠輔氏は物理的に集団自決しろと言っているのではなく、社会的な地位から離れろというようなことを言っているようだった。政治にしても経済にしても、年配の人がいつまでもリーダーシップの地位に就いている現状を変えるという意味で。だからと言ってその比喩はどうなのかなどいろいろ意見があるだろうが、それはすでに多くの人が述べているので僕はあえてそれには触れない。

正直言って成田悠輔氏にあまり興味がない。彼が何を言ったかとかで騒ぐほど僕も暇を持て余していない。ただ、その発言の背景にある今後の高齢者のあり方という部分は、自然派バイオハッキングで扱っている健康長寿に充分関わることなので、その観点から語ってみたい。というのも、成田氏が問題視している高齢者がいつまでも意思決定の場に居座り続け、世代交代が起きないという現状は、デビッド・シンクレア博士などが推進する寿命延長運動でさらに長引く可能性があるからだ。

デビッド・シンクレア博士は著書『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』の第8章「未来の世界はこうなる」で寿命が延びることで、高齢になってもずっと仕事が続けられるようになり、高齢者の経験がより長期に渡って活かされるようになるというようなことを述べている。

実際のところ、寿命だけでなく健康寿命が延びた場合、老いが遅れることになり、80歳の人が60歳の健康状態を維持できるようになるかもしれない。そうなると、成田氏ですら批判できなくなるのだ。滑舌が悪いような年齢の人が重要な仕事に就いていること(彼の発言)の批判であり、もし、その人のパフォーマンスが20歳下と変わらないのであれば文句の言いようがなくなるからだ。

そして、アメリカでは、それこそ成田氏が博士号を取得したマサチューセッツ工科大学出のIT系エリートのような人たちに限って、バイオハッキングなどに携わる傾向がある。いつまでも能力を維持し続ける可能性がある。彼らに向かって「あんたら無能だから」と言えるだろうか。

ただ、能力的に仕事を遂行することに支障がなくなっても、世代交代がなかなか起きないという問題は残る。そして、そうしたことへの批判も数多くあるようで、シンクレア氏は本の中でそうした懸念に答えている。そのうちのひとつが、政治家などに関してはある一定の年齢に達した時に引退することを義務付けすること。

僕もそう思う。高齢者が長生きすることが必ずしも問題なのではなく、システムの問題だと。政治家だけでなく、企業においても、ある一定期間意思決定の場に就いた者は交代するようにすればいい。トランジション・タウン運動がそうだ。トランジション・タウンというまちづくり運動では、運動組織をつくった場合、リーダーは1年で交代することになっている。

もっとも、そのようなシステムをどうやってつくるかという時になって、今の政治家たちは絶対しそうもないし、その政治家たちを国会に送り込んでいるのは高齢の有権者なので、議論は振り出しに戻るわけだが。

僕は、解決策はやはり自然派バイオハッキングにあると思っている。長寿健康法をただ単に身体的な健康状態を維持するためだけに行った場合、そうした問題は起きてくるだろう。ところが、身体的健康、メンタル的健康、地球の健康、スピリチュアルの健康を包括的に扱った場合、バイオハッカーの意識が変わり、世代交代が世の中のためになると思ったら、積極的に次の世代に譲るようになっていく。仕事の分野で成功する、成功した地位に居座り続けるという価値観自体が古いものであることに気づき、第2、第3の生きがいを見出していくようになる。そして、その第2、第3のミッションがすべて、個々の霊性の進化と地球の進化に向けられるようになったらどうなるだろうか。

寿命延長に関しても、僕は目的なしに延長するのはどうかと思っている。つまり、120歳が現在人類が到達可能な最高年齢だとした場合、その時までできるだけ病気になることなく老化を遅らせ最後はピンピンコロリで逝くというのはいいが、130歳まで寿命を延ばすことについては。130歳まで生きることで自分のミッションが達成できるという目的があるのならいい。しかし、それなしにただ長く生きるというのはどうかと。

僕も60代前半になり、もうすぐ高齢者の仲間入りをする年齢になってきた。そこで思うのは、人の人生というのは様々なドラマがあって、ひとくくりに「この人たち」とは言えないということ。同年代もそうだし、先輩たちの中にも一生懸命生きてきた人たちはたくさんいる。僕は、そんな中高年から高齢者と言われる年代の人たちがいつまでも健康で幸せに生きることを願っていて、そのサポートをしていきたいと思っている。

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